九月になりました。
暦の上では…という定番フレーズを言いたくなる時期です。

そしてこの時期はけいはんな記念公園にとって特別な時期で、中秋の名月にあわせた「観月の夕べ」という公園のシンボルイベントがあります。

 

 

2019年の観月の夕べ

池の上の舞台でコンサートをするスタイルが定番でした

 

 

しかし、今年はコロナの影響でいつも通りとはいかない状況にあるため、例年の夜間イベントというスタイルはとらないことになりました。
せめて、それぞれのお宅などでお月見を楽しんでいただけたらと、イベント担当スタッフが今一生懸命お月見に関する情報を発信するために準備してくれています。

それに先駆けて、このブログではお月見にまつわる昔話をご紹介しようと思います。

月は昔からいろいろと愛でられてきましたので、それにまつわるお話はたくさんあります。
中秋の名月といえば満月 ですが、まだ前段階ということで、今日は少し変わった「二十三夜」のお話です。

ちなみに、この公園がある京都府では8月31日~9月1日あたりが二十三夜だったようです。

 

※記憶に頼った記述なので間違いがあるかもしれませんがご容赦ください。

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昔々の沖縄のお話。

この地方では二十三夜には客を招いて宴をし、ともに月を拝むという風習がありました。

ある家の主人が二人の客を招いて月待をしていると、一人のみすぼらしい老人が尋ねてきて、自分も仲間に入れてくれと言います。

二人の客は老人のみすぼらしい姿をみて嫌がりますが、主人は「二十三夜様」はみんなで拝むもの、と老人を招き入れます。そして皆でひと時を楽しく過ごしました。

宴も終わって帰る時、老人は「次の二十三夜には、お返しに私の家に来てください。その日には使いの者を迎えに来させます」と言いました。
二人の客は身なりに合わないたいそうなことを言う と笑いますが、主人はこれをたしなめ、「きっと伺います」と答えます。

 

次の二十三夜の日、二人の客と共に主人は使いを待っていました。二人の客は「嘘に決まっているから宴にしよう」といいますが、主人は「信じてもう少し待とう」となだめます。
そんな話をしているところへ、使いの者が本当に現れました。

案内されていったのは山奥でした。そして、とても立派な屋敷があり、ご馳走を準備してあの時の老人が待っていました。
二人の客は怪しんで、何かに化かされているのではないかと疑います。

老人が特別な料理を出すと言って台所へ行った時、二人の客は何を食わされるのかと、こっそり様子を見に行きます。
台所を覗いて二人は腰を抜かします。老人は赤子をまな板に載せているのでした。二人の客は大慌てで逃げ出し、夜の山道を走りました。
すると目の前に天を衝く巨大な三本の柱が現れ二人の行く手を遮ります。
二人は必死に逃げていきました。

 

座敷に一人でまっていた主人のところへ老人が料理を持ってきました。
それは赤子などではなく、ニンジュという非常に珍しい魚で、とてもおいしく、また長寿の薬にもなる特別なものでした。

帰るときになって老人は一本の守り刀を主人に渡し、「帰りにはシチという三本の化け物の柱が現れる。風上にまわって真ん中のシチを切るが良い」と言いました。

主人が道を下っていくと三本のシチが天に向かって伸びました。

 

 

 

シチのイメージ

夜の森でいきなり巨大な柱に前をふさがれたら相当怖いですね。

 

 

 

主人は言われたとおりに、風上にまわって真ん中のシチを守り刀で切りつけます。すると柱は崩れ落ち、山のような黄金に変わりました。そして残り二本のシチも消えてしまいました。

 

黄金のおかげで、主人はその後幸せに暮らしました。

一方、逃げ出した二人の客は山をさまよい、傷だらけになって三日後にやっと村に帰りつくことができました。

 

二十三夜の神様はみすぼらしい老人の姿で現れ、心よい者に多くの幸をさずけるということです。

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展開の豊かなお話で、ニンジュやシチなど謎の物も登場しファンタジックな印象でした。
聞いていて楽しく、印象深く記憶に残っています。

煌々とした現代の夜ではなかなか月に思いを馳せる余裕ができませんが、せっかくの中秋の名月ですので、是非ひと時、月を眺めてみてください。

 


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