私たちにとって「いけばな」「お花」は比較的身近なところにあります。
皆様もご自宅でお花を飾る機会はゼロではないでしょうし、出かけた施設や訪問したお宅の玄関にお花が生けてあると「お、いいなぁ」と目をとめる方も多いのではないでしょうか。
「いけばな」は日本独自のもので、お花を生ける文化や歴史は飛鳥時代までさかのぼります。自然が豊かで四季折々のお花を楽しむことができる日本には、花を詠んだ歌、花や自然を描いた芸術が多数残っています。自然とともに暮らしていた時代においては、緑を年中絶やさない常緑樹は神の依り代とされていました。今に残る門松はその名残です。そして神様・仏様にお供えするお花を供花といいますが、これが花を生ける、花を挿す「いけばな」の始まりともいわれます。
仏教の興隆とともにお花を供える文化も定着していきます。その後、書院造の建物が寺社や権力者の邸宅で主流になると、床の間や違い棚といった空間にお花や花瓶を飾るようになり、いわゆる「いけばな」が室町時代に成立しました。江戸時代になると上流階級・武家が中心だったいけばなは、庶民のたしなみへと広がり始めます。明治に入り、洋花が流通するようになると盛花が成立し、より多様なスタイルで発展し、現代のいけばなとなりました。
公園では2つのいけばな教室が活動しています。
1月の「華あそび」では、そのうちの草月流教室のみなさんの作品展を開催しました。
会場に展示された作品を写真で見てみましょう。
仏前供花の枠を超えて花を楽しみ、いけた花から自然を感じ学ぶ、という日本独自のいけばなは、単に花をいける技法や観賞だけでなく「華道」といわれるように思想的なものや精神性をも含んだ、花で表現する「道」へと発展しました。美しい花だけを愛でるのではなく、枯れた枝、幹、苔、といったあらゆる素材を用いて、生命や自然の姿を表現するのは日本の「いけばな」ならではです。
そして、供花や床の間の花として発展してきた経緯から、正面から見て美しく見えるよう生ける、というのが昔は基本でした。現代は床の間が住宅から減っており、いけばなも「自由花」という多方向から楽しむ“生きた立体造形”と捉えるスタイルが広がっています。ただ、あらゆる方向に多様な花を用い、華やかに隙間なく空間を埋めるフラワーアレンジメントとは根本的に異なります。いけばなは、花や木の自然の姿を見極め、しつらえる空間で一輪・一本を生かすための引き算の構成、花材の形状が創り出す空気・間(ま)を楽しむ芸術です。
いけばなに限らず、日本の芸術・文化には「間(ま)」「余白」の美しさが醸し出す余韻や空気があると言えます。書道や日本画、写真にも同様の感覚が見受けられますが、これが構図の美しさであり、日本人特有の美意識と言えるでしょう。
いけばなを見る時、一つの枝葉がどう伸びていくのか、花がどう開いて散ってゆくのか、花材どうしがどのように呼応するのか、と無意識に自然の姿を想像する自分がいます。これが‟余白の美“のなせる業なのでしょう。こういう時、生け手の感性や感覚と「いけばな」を介して対話しているのだろうな、と思うのです。
自然を感じ、お花や緑が近くにある時、人は美しさや芸術性、生命を感じると同時に、癒しも得ているといいます。皆様も実際に、自然とふれあうことができた時やお花を目にしたとき、何となく気分がリフレッシュするのを感じたことがあるのではないでしょうか。これは「何となく」「そんな気がする」という心理的・感覚的なものだけでなく、科学的にも実証されていて、脳波・血圧・ストレスホルモン・自律神経の働きなどから、リラックス効果やストレス軽減効果が確認されています。なんと、実物でなくても、写真や動画を見るだけでもそれなりに効果があるそうです。
自然を感じながら散策する、折にふれお花をめでる、ということは心身の健康に効果的だということですよね。色々と神経を使いストレスが絶えない、気分が晴れない等々、何かと気が重くなることが多い昨今、日々の中に少しでもリラックス、リフレッシュの要素を取り入れていきたいものです。
そんな皆様の毎日において、公園が気分転換の小さなきっかけになれていたら嬉しいです。