台風の影響による雨だけかと思いきや、例年より早く梅雨に入りました。
小さい頃は濡れることを厭わなかったので、傘を持ったり長靴を履いたり、特別な日として楽しんでいた時期もありました。
大人になると濡れることへの不快感ばかり気になってしまいますが、新しいお気に入りの雨具を買ったときなどは、少しだけ昔の気持ちに戻ります。

今は雨具と言えば、傘やレインコート(雨合羽)ですが、昔は番傘や蛇の目傘、そしてレインコートに代わるものは蓑と笠でした。
着物に合わせたりして、和傘を使われる方はいまだに少数ながらおられると思います。
しかし、蓑笠、特に蓑を実際に着用されている方をみることはそうそうありません。

自然由来の素材で工夫して作られていた蓑笠。
地域によっていろいろな素材や作り方があったようです。
今日は蓑づくりのおじいさんが登場する昔話をご紹介します。

なお、今回は公園スタッフが書いてくれた挿絵とともにお送りします。

 

※記憶に頼った記述であり、不正確な部分があることをご了承ください。

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昔々ある山奥にケラ売りをして暮らしているおじいさんが住んでいました。
ケラとは蓑のことです。

おじいさんはおばあさんに先立たれ、山の家に一人で暮らしていました。
おじいさんのケラはマンダ(シナノキ)の皮で作られていて、いくつかできると山を越えて町まで売りに行くのでした。
丁寧に作られたおじいさんのケラは長持ちすることから、町では大層な人気なのでした。

マンダの木がたくさん生えているのはおじいさんの家からさらに山奥に入った場所でした。
マンダの皮をとるには、まず幹に切れ目をいれて、そこから皮を引っ張っていくと長い皮がむけます。
おじいさんはそうやってマンダの皮をむいて回って、籠いっぱいに集めると、いつもマンダの木に感謝して手を合わせるのでした。

 

ある日のこと、おじいさんはまたマンダの皮をとりに、深い深い山奥まで入っていきました。
マンダの皮を取っていると、にわかに空が曇り、強い風が吹きました。
そしておじいさんが顔を上げると、木よりも太い脚が2本立っていて、さらに見上げると、マンダの木よりもずっと大きな大男がおじいさんを見下ろしていました。

おじいさんが驚いて腰を抜かしていると、大男が口をききました。
「そんなにおどろかないでくれ。煙草の火を借りたいだけじゃ。」

おじいさんはおびえながら大男の煙草に火打ち石で火をつけてやりました。

ふと見ると大男の腕から血がぽたぽたと落ちています。
おじいさんはこれはいかんと、血止めに効く草をとってきて、自分の着物を裂いて包帯の代わりにすると、傷の手当てをしてやりました。

大男はよほどうれしかったのかぽろぽろと涙をこぼし、「ほしいものがあれば山に向かって叫んでくれ。この山でとれるものならなんでも持っていってやる。」といって去っていきました。

大男が去ったあと、おじいさんは急に恐ろしくなり、家まで逃げ帰りました。

 

おじいさんはなんとか家まで帰りつきましたが、それから三日三晩、熱と悪夢にうなされました。
四日目にようやく床から起きて家の外に出た時、せっかくとったマンダ皮を山に忘れてきたことに気づきました。
「またマンダ皮を取りに行かねば・・・」そう一人でつぶやいて家に戻りました。

するとその日の夜中、大きな音におじいさんは目を覚ましました。

家の前に出てみるとマンダ皮が山と積まれていました。

そして山に帰っていく大男の背中が見えました。
おじいさんは大男が山の神様だったのだと気づきました。

 

それ以来、おじいさんはマンダの皮を山までとりに行く必要がなくなり、ケラをたくさん作ることができ、生活も楽になりました。
また、山で採れる山菜やキノコなども大男が届けてくれたので、おじいさんはいつまでも元気にケラづくりに精を出すことができたそうです。

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昔話では大男が山の神様として登場することがしばしばあります。
守り神様のようなものより、いたずらしたり人に迷惑をおよぼしたりと、割と人間じみた印象で描かれるものが多いように思います。

今回はおじいさんのやさしさに触れて恩返しをする話でしたが、もしかしたらマンダの木にいつも感謝していたおじいさんだから、会えた存在なのかもしれません。

さて、けいはんな記念公園の里山にも何かいてくれるでしょうか。


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