以前、ある勉強会で砂場の歴史を学ぶ機会があった。砂場が子どもの成長や発達において安心感、自己肯定感、創造性などを培う重要な場所であり公園にぜひその役割を担ってほしいというメッセージに共感したのだが、そのなかに『自分のイメージに近づくよう道具などを使いこなしながら砂の造形物に挑戦していく〈アートとしての砂遊び〉』への言及があった。

さて、当園には遊具に囲まれた場所に砂場が設置されている。勉強会に参加してからというものいつしか意識的に砂場を眺めることが多くなった私は、不定期に現れる「アート作品」に気付かされることとなった。

アート活動には「創る」と「広める」といった面があるらしい。

したがって来園者が「創った」作品を「広める」という立場において、勝手ながら当砂場に現れた「アート作品」を幾つか紹介したい。

尚、アート作品には批評がつきものであることから学芸員になった気持ちで私なりの作品批評を加えてみた。あわせて楽しんでほしい。

⛰作品1

山にトンネルを通し、まわりを溝で囲むといったシンプルかつスタンダードな作品。山が崩落するほどの大穴を大胆に開けたところに技術力の高さが窺える。どこかで剥がした芝を移植するなどの細かい配慮もみられる。手前の足あとは制作者のものか。

⛰ 作品2⛰

大量の砂が使われている作品。短時間で上質の砂を調達するのに苦労したはずで、必死にかき集めたであろう手跡を敢えて残したところにGood Job!心を落ち着かせれば枯山水の砂紋に見えてくるから不思議である。バケツなどの容器を使いながら崩さず過密させての造形には、細心の注意と思い切りの良さが求められたはずだ。

⛰ 作品3⛰⛰

頂部に施された落葉で季節性をそえた作品。更には遠くからでもその存在が確認できるよう旗ポールのような棒を備えている。砂を積み上げるのではなく周囲を掘ることで高低差を生み出すことで低階層化を実現させた。

⛰ 作品4⛰⛰⛰

ここまでくればもはや「遺跡」といえよう。数日間にわたり踏まれた形跡が見られるが、そんなことではビクともしない安定感。深く頑強な環濠を掘り進めた制作者の実直さを素直に褒めたい。左右対称のデザインにも何かしらの意図を感じ取ることができる作品。来園者からは「砂場が元の状態に戻るまでしばらく時間を要した」との声も。

⛰ 作品5⛰⛰⛰⛰

砂場に残る作品は造形物ばかりではない。こちらは〈ナスカの地上絵〉を彷彿とさせる作品。広範囲にわたり刺繍モチーフのような線が展開されている。残念ながら、ここ精華町ではペルーのような気候とはいかず、このような絵画的な作品は早々に消え去る運命にある。

⛰ 作品6⛰⛰⛰⛰⛰

30代後半以上の年齢層には懐かしいあの名作アニメを思い出す人もいるかもしれない。親世代の監修のもと、あるいは大人自らが制作した作品ではなかろうかと思わせるほどの完成度。貝のような見事な螺旋・とぐろが表現されている。手前の入口らしき窪みから判断すると最終的にはなんらかの建設物として仕上げた作品とみて間違いないだろう。

⛰ 作品7⛰⛰⛰⛰⛰⛰

抜き型を利用したと推察されるこれら作品は、道具がもたらす本来の目的どおりお菓子の様な出で立ちに。円錐型(左)に「銀閣寺の向月台のよう」との表現はいささか大袈裟か。

 

さて、今回7つのアート作品を見ていただいたが、読者のみなさまは何を思われただろうか。

私はこれらアート作品と接する時、自らに課したルールとして出来立てホヤホヤのものではなく、一定の時間を経て残されたものを記録するよう努めている。

何故なら、程よく人の気配が残っている状態に惹かれるからである。(本当は人が多いところで作品を撮影する姿を見られたくない、といった気恥ずかしさも一因であるのだが…。)

人けが少なくなった砂場に残された造形物(作品)を眺めながら、おそらく制作者自身も作ったことを忘れ始めているのに破壊されることなく残存するに至った経緯に第三者が思いを巡らすといった構図に、その空間的なおもしろさを感じずにはいられない。

また、制作者も知らないほうがよい。そうすることで詠み人知らずの作品となり見る側の想像力を存分に広げることができる、その良さも強調しておきたい。

そして、これら「作品」の展示期間は非常に短く、基本的には次の制作者が砂場にやって来るまでの束の間でしかない。遅かれ早かれ文字通り「土(砂)に還る」ものであり、作品との出会いはまさに一期一会の境地なのである。

これら砂場における作品群は「制作者の思い出」の形跡であると同時に、制作者自身それ相応のエネルギーが注がれた証でもある。それだけ公園で充実した時間を過ごしていただけたのだと判断できるとすれば、公園関係者としてこれほど嬉しいことはない。

ふいに出現する砂場のアート作品に遭遇した時、それは「砂場遊び」という身近な景色が公園の代表的な「文化的景観」にまで昇華した瞬間なのかもしれない。

改めて公園における砂場の存在意義を感じるとともに、砂場を大切に管理していきたいと思っている。

 

 


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