やっと朝晩が少し涼しくなってきました。今年の夏は暑かったですね。

夏場は公園に来られる方は随分減ってしまいます。
熱中症警戒アラートが出ている中では、さらに来られる方は少なくなってしまったように思います。
しょうがないことと思いますが、良いお天気で濃い緑に包まれているのに、だれもいない公園というのは寂しいものです。

今年は雨の降り方も極端でした。
植物のために降ってほしい時になかなか降ってくれず、台風のような雨が唐突に降るということもしばしば。
暑さにやられてしまう草木もちらほらでてしまいました。
この時期は必要に応じて水やりをしています。

今でこそ、蛇口をひねれば水がでる便利な時代ですので、水やりで枯れないように対策ができますが、昔はそうはいきません。
ましてや、生命線である稲作に影響する日照りとなれば、昔の人達はどれほど気を揉んだことかしれません。

水不足に関わる昔話はたくさんあり、その結末も幸せなものから悲しいものまで様々です。
今回は、雨を降らせた白ナマズの話をご紹介します。

※記憶に頼った記述であり、不確かな内容であることをご了承ください。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昔々、九州地方のお話です。
美しい田畑が広がる里がありました。

ある年の夏、雨が全く降らない日照りが続き、田も畑もからからに干からびてきてしまいました。
水やりをしようにも、川も池も、井戸までも次々に干からびていきました。

 

 

干からびつつある永谷池

これは日照りのせいではありません。
昔、給水する地下水ポンプが壊れた時の様子です。
水位が1mほど下がってしまい、このような状態になりました。

 

 

しおれていく作物を前に、村人たちは茫然としていましたが、長老の爺様は村人たちを励まし、雨乞いのお祈りをすることにしました。

昼夜を問わず雨乞いをしましたが、雨は全く降りません。
疲れ果てた村人たちは雨乞いをやめてしまいます。
爺様はもっと祈らねばと言いますが、村人はもう爺様の言うことを聞きません。

そして、村が神様に見捨てられたと考えた村人たちは、村を捨てて移り住むことを考え始めました。
長老の爺様は、自分たちの生まれた村を捨てるなどあってはならないと、「なんとからするから一日だけ待ってくれ。」と引き留めました。
そして爺様は小さいころにうわさで聞いた、山奥にあるという泉を探して出かけて行きました。

飲み水にすら困る水不足に加え、山奥へと登ることは、年老いた爺様には大変なことでした。
それでも村を思う一心で山奥へと進んでいきました。
藪をかき分け、谷を超えて、やっと泉にたどり着きましたが、その水も枯れていました。

爺様はがっくりとしますが、あきらめるわけにもいかず、朦朧としながらさらに歩いていきました。

 

ふと気づくと見たこともない場所についていました。

そこでは草も木も生き生きとしています。そして、どこからか水音が聞こえてきます。
音を頼りに進んでいくと美しい水をたたえた泉を見つけました。

 

爺様は泉の水を飲み一息つくと、さて、村の人に知らせねばと喜び勇んで帰りかけると、どこからか声がします。
それは泉から聞こえてくるようでした。

近づいてみると泉の底から真っ白なナマズが姿を現しました。

 

 

ナマズ

名前は知っていたり、絵で見たことはあっても、本物を見たことがある人は少ない魚ではないでしょうか。
ぺちゃんこの頭に長いひげが生えた愛嬌のある魚です。

 

 

ナマズは「この遠い泉から村まで水を引くのは無理じゃ。村の人達がやるわけもない。」と言います。
爺様は「わしひとりでもやる」と頑として聞きません。

 

するとナマズは「そんなに村が大切か…。ならばわしが雨を降らせてやろう。」と言い、ひとはねしました。
すると、にわかに空が掻き曇り、なんと雨が降ってきました

 

 

急な雨

夏の風物詩。
最近は極端ですが。

 

 

 

村では村人たちは「雨じゃぁっ、水じゃぁっ」と大喜びしていました。そして、田畑も蘇りました。

 

 

 

水じゃぁ

ポンプが壊れた時の苦肉の対応。
ナマズのおかげでもポンプが治ったわけでもありません。

本来、下の池から滝へとつながるポンプの吐き出し口の向きを変え、水が吹き上がるようにして永谷池に給水しました。

 

 

 

 

後に爺様から不思議な泉と白ナマズの話を聞いた村人たちは、泉の近くに社を建てて白ナマズを祀りました。

いまでもその泉から水をとろうとすると、必ず雨が降ると言い伝えられているそうです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

公園があるこの地域も、水不足に悩まされた歴史があると言います。

公園にある永谷池は地域の田畑に水を送るため池でした。
もともとは近くの煤谷川から水を引き、この永谷池に溜めて、そこから下流の集落に分配されていたそうです。
川からの隧道はこの地域の悲願であり、完成を記念した記念碑も建てられました。

公園が造成されたのは、この一帯が学研都市として開発された30年ほど前です。
この時に永谷池は煤谷川から分離され、地下水が供給されるようになりました。
隧道もなくなってしまいましたが、隧道完成の記念碑は公園内に移設され、今も永谷池の南側に残されています。

 

 

隧道完成の記念碑

左側が記念碑、右側は記念碑の移設のことを記したものです。

 

 

 

公園にお越しの際には、この石碑から水のありがたみに思いを馳せてみてください。


< 過去の記事 公園よろず手帖 トップ 新しい記事 >