ようやくこの冬も例年のように寒さが戻り、身を切るような冷たい空気を感じる季節となりました。
しかし近年では、季節の移り変わりが少しずつずれているように感じられることもあります。
俳句における「季語」は、長い歳月をかけて日本の自然や暮らしの中で培われた季節感の表現ですが、実際の景色や気候とは少しずつ違いが生じてきているのかもしれません。そんな現代の「季語」と自然の関係を思いながら、冬を象徴する季語を手がかりに、公園で見られる冬の景色を探してみました。
◌「石蕗(つわぶき)」
・飛石に客すべる音す石蕗の花 漱石
初冬の季語なので凍った飛石に滑ったのではなさそうですね…。音は尻もちをついた時の鈍音でしょうか。
写真は花が終わった2月頃の様子。ツワブキの綿毛。
◌「冬の月(ふゆのつき)」
・寒月やいよいよ冴えて風の声 荷風
月冴ゆる、寒月とも。月の青さと冬の寒さと相性がよいですね。
写真は夕暮れ時の芝生広場にて。
◌「霜柱(しもばしら)」
・霜柱ざつくと梯子立てにけり 唐淵
確かに梯子にも見えますね。今冬はまだお目見えしていません。
写真は早朝の水景園にて。小石を器用に持ち上げています。
◌「冬の蝶(ふゆのちょう)」
・冬の瑠璃蝶密着の翅開き初む 草田男
蝶には越年する種類があり、彼らは冬の間じっと止まっています。
写真はウラギンシジミの越冬。観月橋近くのカラタネオガタマの葉を選んでいます。
◌「朽葉(くちば)」
・朽葉よりあらはす苔の緑哉 紹巴
木の葉が地上に落ち、時を経て朽ちたもの。枯葉とはちがうのですね。
写真は水景園の竹林東屋にて。これらが「朽葉」かどうか迷いましたが、俳句に適う景色でしたので…。
◌「冬木立(ふゆこだち)」
・冬木立寒雲北に滞る 芹村
葉が落ちて枝がすきすきとなった寒々しい様を言いますが、快晴の空のもとでは清々しさが勝ります。
写真は水景園芽ぶきの森にて。
◌「冬芽(ふゆめ)」
・木々冬芽凍のゆるみに濃紫 普羅
裸木となった落葉樹の冬芽は、よく目につきます。
写真は谷あいのコバノミツバツツジ。早くも春が待ち遠しい…。
◌「草枯(くさがれ)」
・金色に枯れてそれぞれ名ある草 春一
草が枯色になったものですが草枯は大観であり、枯草は個々の草について言います。また、名のある草の枯れたものは、「名の草枯る」と言って一括し、草の名を冠してよみます。
写真は、水景園永谷池端の枯薄(ススキ)。
◌「枯園(かれその)」
・枯園に何か心を置きに来し 汀女
冬枯れの庭園。冬庭・寒園・枯庭とも。冬の庭は地面や園路が露わになり、その構造がよく判ります。俳句にもあるように、もの寂しい冬景色を楽しむのも一興です。
写真は、水景園紅葉谷にて。
◌「水涸る(みずかる)」
・水涸れてまじはりもまた浅く栖む 林火
冬になって水源地の積雪のため、川・沼・滝などの水が涸れる様を言います。公園はポンプ稼働ですので冬でも涸れることはありませんが、掃除や工事などで水を止めることがあります。
写真は谷あいの小川。
◌「芽キャベツ(めきゃべつ)」
・芽キャベツのほつほつ畑は清潔に よし子
キャベツの栽培変種。幹の基部から生じる葉の腋に小さな結球芽が着生します。写真は、何年か前に水景園の畑で収穫した際に撮影。
◌「木守(きまもり)」
・染の野は枯に朱をうつ木守柿 澄雄
冬の柿や柚などの木に一つだけ実を残しておくのは「来年もよく実がつくように!」とのおまじない。
園内では景色を優先して柿を残していて、徐々に果実が減っていきます。残り一つまであと少し。
写真は水景園果樹園の一角にある柿の木。
◌「焚火(たきび)」
・皆去りぬ焚火育ててゐるうちに 年尾
都市生活においては、たき火を気軽に楽しめる環境でないかもしれませんね。公園では、焼き芋のイベントや焚火そのものを楽しむイベントを開催しています。機会があればぜひお越しください。火を育ててみませんか?
写真は水景園山棚田にて
◌「寒窓(かんそう)」
・子を連れし父が通るよ窓の冬 しづの女
冬の窓は閉めてあることが多く、外から見るとさむざむとした情緒があります。一方で、開けられた窓べに冬景色を見るものよいものです。写真は、公園の管理事務所からの景色。窓ならぬ扉から、ウメを見ています。
◌「門松立つ(かどまつたつ)」
・門松の立ち初めしより夜の雨 一茶
暮れの27、28日ごろに立てられます。土地によって種類は様々ですが、都会では松と竹とを組み合わせて立てることが多いのだとか。今年、公園では27日に合わせて立てました。
写真は、水景園入口にて。新年明けてもしばらく設置しています。
◌「寒鯉(かんごい)」
・寒鯉や日の透く水のささ濁り 甘雨
凍鯉(いでごい)とも。寒中の鯉は美味とされています。公園がある地域でも、その昔田んぼに放っていた鯉を捕まえて正月料理として食べる習慣があったそうです。
写真は、水景園観月楼デッキにて。
◌「探梅(たんばい)」
・探梅や御菩薩池は遠からず 活刀
探梅とは早咲きの梅と尋ねる心。残念ながら今年はまだ梅一輪も探し当てることが出来ませんでした。俳句の御菩薩池(みぞろがいけ)とは京都市北区上賀茂深泥池町にある池で、『都名所図会』でも紹介されました。
公園の場合、「探梅や長谷池は遠からず」といったところでしょうか…。(長谷池は、永谷池の旧称。)
写真は、水景園の屋上棚田にて。
◌「餅花(もちばな)」
・餅花の賑やかに垂れ静もれる 花蓑
小正月の飾り物で、柳・榎・みずき・稲藁などに紅白の小さい餅の切れまたは丸い団子を取りつけたもの。公園では毎年スタッフが手作りで準備しています。
写真は、水景園入口にて。こちらも新年明けてもしばらく設置しています。
◌「帰り花(かえりばな)」
・一輪は命短し帰花 漱石
桜・山吹・躑躅などが時ならぬ花を咲かせること。俳句の通り、この寒さではすぐに萎んでしまいます。
花を見つけた喜びより「何故咲いてしまったの?」という憐憫の思いを強くします。
写真は、水景園芽ぶきの森にて。
◌「冬の空(ふゆのそら)」
・ここにかうしてわたしをおいてゐる冬夜 山頭火
夜半の冬といえば、冬の夜更け。冬の夕べ・冬の暮・寒暮・寒夜とも。写真は、遊具広場ブランコ台にて。やはり一人ぼっちでしたが、静かでとても綺麗な空でした。
◌冬枯れ(ふゆがれ)
・冬枯れて山の一角竹青し 漱石
「冬枯」とは満目枯色と化した、荒涼たる景色のこと。その中にあって、深緑をなす竹はなんとも有難いことです。公園では『山の竹伐り』さながら、門松などお庭の設え用に切り出しています。
写真は、水景園竹林東屋の背後にある竹林。
冬の景色には、季語を通じて見えてくる魅力や、日常では気づかない美しさがたくさん隠されています。
今回ご紹介した、過去の俳人たちが詠んだ俳句もまた、その時代の季節感や自然との向き合い方を伝えてくれます。そんな「季語」を手がかりに、現代の冬の景色を新たな目で眺めてみると、きっと新しい発見があるはずです。
年末のあわただしい時期の中でも、ふと足を止めて、身の回りの景色を感じながら、俳人たちの詩情に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。どうぞ皆さまが穏やかな年の瀬を過ごされ、新しい年を気持ちよく迎えられますように。