けいはんな記念公園では日本の行事を大切にしており、四季折々の文化を皆様に体感していただいています。なかでも、五節句の人日(1月1日)、上巳(3月3日)、端午(5月5日)、七夕(7月7日)は、様々なしつらいやおもてなしで、それぞれの魅力や楽しさ、行事の意義や歴史的背景も紹介しています。
なお、「五」節句ですので、本来は「重陽(9月9日)」も該当しますが、当園の場合はこの他のイベントを全面に出し、お楽しみいただいております。
例えば、「節分」もそのなかのひとつです。
今回は節分まであと少々ということで、「節分」について紐解いていきたいと思います。

「♪鬼は~外、福は~内」と声を出し、豆を撒いた思い出をお持ちの方も多いのではないでしょうか。伝統行事の「節句/節供」のひとつのように思われるかもしれませんが節句は、先ほども紹介したように、人日、上巳、端午、七夕、重陽の五つです。そして節分は、二十四節気以外の季節の変わり目の目安になる日。本来は立春、立夏、立秋、立冬の前日を総称していました。彼岸や土用などと同じで、雑節のひとつですね。
さてこの節分、「追儺会/ついなえ」と称した宮中儀礼から端を発すると考えられています。そして節分に豆を撒く風習は、南北朝時代以降のもので応永33(1426)年の『看聞御記』に記録が残ります。また文安4(1447)年12月22日の『臥雲日件録』には立春に際し、階級の上下関係なく、鬼は外、福は内と称した豆まきが行われていたことが記されています。その名残りが、けいはんな地域にほど近い、奈良市の東大寺の修二会です。
もともと追儺と節分は別々の行事で、前者は大晦日・年越し、後者は春を迎える節目に行われていましたが、次第に追儺は節分と結びついて行われるようになりました。新たなる季節に病気を除き、天下安泰、五穀豊穣などを祈願することは、時代が変われどいつの時代も不変であることがわかりますね。

当園のあるけいはんな地域周辺では(少々離れていますが…)、先ほどの東大寺周辺の元興寺や興福寺の節分会や追儺会が代表的です。鬼を追いやるという習俗では、季節の変わり目にもたらされる「災い=鬼」という側面がありました。

一方で、鬼を迎え入れる場合もあるのです。その事例は奈良県吉野郡天川村の天河大辨財天社です。ここで行われる節分祭の宵の晩では「鬼の宿」と称して鬼を迎えます。供物と共に鬼用の布団を用意、さらに水を張った手桶も備えられ、おもてなしの準備を整えます。そして明朝、節分祭当日にその桶の底を確認します。砂が確認されると鬼が手足を洗い、逗留したと見なされ、そこから神事がスタートするのです。このように鬼の存在を大切にするのは、強靭な力をもった鬼そのものを神として認識しているからです。同社が鬼と近しい存在であるため、翌日の神事では「鬼は内!福は内!」と唱えながら豆を撒くのです。その他、同郡吉野町の金峯山寺も同様に「福は内、鬼も内」と称します。この場合、全国から追いやられて来た鬼を受け入れているといわれています。

同地域で比較検証をしても面白い文化を持っている「鬼」。その歴史的背景や信仰の形態を知ると、より実像に迫れるでしょう。

また、節分の植物といえば「ヒイラギ」。公園では芽ぶきの森に自生しています。節分のしつらいでも大活躍!イワシの頭を枝に差すことで、トゲトゲした葉の形状やイワシの香りで悪霊を寄せ付けないという言い伝えをご存じの方が多いと思います。1月18日の投稿にもありましたが、ビジターセンター地階の展示スペースでご鑑賞いただけます。また、水景園の観月楼地階の赤い毛氈を引いた舞台には、節分のフォトスポットを1月最終週から設置しました。顔はめパネルや節分モチーフのイラストを自由に手に持って撮影できるフォトプロップスもご用意しております!

節分イベント情報はこちらから✨先着100名様に福豆のふるまいもありますよ!

春を先駆け、幸せや健康を祈願する「節分」行事。けいはんな記念公園でぜひ、お楽しみください。


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