紅葉のシーズンが終わると、いよいよ冬本番。

冬はオフシーズンということで来園者の数も減ってしまう時期ではありますが

「来年、桜が咲く頃までしばしのお別れ・・・」というのではすこし寂しいですよね。

一見すると地味で味気なく見える景色でも、意識を少し変えてみると「冬」がもたらす

季節感を得ることができます。

四季を担う「冬」は、欠かせない季節の一つ。秋と春をつなぐ重要な時季でもあります。

今回は、冬に咲く花や訪れる冬鳥以外で、この時期の公園やお庭を楽しむ

幾つかのポイントをお伝えいたします。

 

冬枯れを楽しむ

「冬枯れ」とは冬に草木の葉が枯れた状態。寒々とした、もの寂しい冬景色の表現にも使われます。   

重要なのは、「寂しいナ!」と感じること。

この寂しい感覚は、日本の諸文化にみられる「侘び寂び」に代表される美意識にも

通じる部分がありそうです。

     

冬鳥が遠くへ飛んでゆく…

文字通りの「静寂」さ

 

カカシも、間もなくお終い

誰かに会いたいな。。。

 

地形を楽しむ

私が趣味にしている古墳やお城巡りのハイシーズンも冬といわれていますが、

草が茂らなくなり木の葉が落ちてしまうと地面が露わになり見通しが利くようになります。

そのため、他の季節に比べてその場所の地形がよくわかるというわけです。

この、冬にだけ現れる地形に目を配ってみてください。新しい発見があるかもしれません。

庭の地面や園路の様子がよくみえます

池掃除の準備で水が少なくなっています

小川沿いの畝は柔らかな築山のよう

 

向こうまで見通せることで、空間の広さを感じることが出来る

 

先人に学ぶ

周りにある文献を探してみると、ヒントになるような文章が見つかります。

「冬の庭の味ひの深いのは何といつても霜で荒れた土がむくみ出し、それが下ほど凍えて、上の方が灰のやうに乾いてゐる工合である。

苔は苔のままむくみ上つてゐるところに、何とも言へぬ深い寂しみ蔵はれてゐて、踏んで見るとざつくりと土が沈む。乾いた灰ばんだ何処か蒼みのある土が耐らなく寂しい。」

 「冬は庭木の根元を見ると、静かな気もちを感じさせる。灰ばんだ土へしつかりと埋め込まれて森乎としながら、死んでゐるやうな穏かさをもつてゐるからである。

庭を愛するひとびとよ、枝や葉を見ないで根元が土から三四寸離れたところを見たまへ。さういふ庭木の見かたもあることを心づいたら、わたくしの言ふことはないのである。」

室生 犀星. 冬の庭 (Kindle の位置No.9-12). 青空文庫. Kindle 版.

 

「訪れる人もまれになって、寒さと孤独に耐える毎日が続くのである。山里は秋がわびしいとした先の歌に対して、『山里は 冬ぞ淋しさ優りける。人目も、草も、かれぬと思へば (『古今集』冬、源宗于)』と、冬の淋しさを強調した歌もある。そして、その淋しさこそ山里の情緒なのである。」

西村 亨 王朝びとの四季(講談社学術文庫 1979 ) p221-223

 

その他、徒然草19段の後半部分にも冬枯れについての箇所がみつかります。

「~さて、冬枯のけしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉の散り止まりて、霜いと白うおける朝、遣水より烟の立つこそをかしけれ。」

 

いずれも、「鄙(ひな)」に目を向けた視点ということになるでしょうか。

都会風に洗練された「みやび」に対する「鄙び」へのまなざしは、敢えて通常の美意識とは真逆の観点を持つことで得ることが出来る新境地。

表面的な姿かたちの裏にあるものを見つけ出しそれを感じる“感性”といえるのではないでしょうか。

この感性に倣えば、冬の公園や庭園を見るうえでも参考になりそうですよね。

    

最後に

「木は、一年のうち、春と夏と秋のあいだは起きていて、冬になってはじめて、眠るのです。冬が、木の眠るときなのです。ですから、冬は、春・夏・秋という、長い長い昼のあとにくる、夜みたいなものです。」

Hans Christian Andersen. 矢崎 源九郎訳. 年とったカシワの木のさいごの夢  青空文庫. Web 版

 

「冬枯れ」という表現に対して、木々は枯れてはいないのですよね。次のプロセスの為に、来たるべき春に備えて休み息をひそめている…と考えただけで、冬に眺める目の前の風景や景色は一変します。

寒く厳しい冬にこそ見て感じることが出来る何かを見つけに、暖かい家をちょっと離れて寒空の下の公園へ来てみませんか。寒さ対策だけは忘れずに…。


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