田に水稲が植えられて数日すると入梅です。
湿度も高くなり、時に大雨に降られたり、地響きがするほどの雷鳴も起こり、脅威すら感じることもあります。そんな日本の暮らしは自然と強く結びつき、衣食住それぞれに様々な文化を育みました。四季を感じられる風土は、時の流れや折々の行事を大切にする心が自発的に育まれ、国内各所で特色ある暮らしや習俗が生み出されたのです。
今回は、水景園内で6月29日㈯に行われる「虫送り」に先駆け、かつて日本で広く行われていた田や水にまつわる夏の習俗の一端をご紹介します。

■「虫送り」とは
夏に向かって高温多湿になることで水稲などの作物に害虫が発生し、そこから疫病・悪霊までもが蔓延するという思考のもと生まれた習俗です。医学が発達していない頃、凶作が発生する所以を非業の死を遂げた霊の仕業と結びつけたのです。
行事の概要としては、ムラの株単位の集合体で松明を作って村境まで練り歩くことで松明に虫や疫病などを依り憑いたと仮定し、辻やムラの外れにある川で松明を流す、または破壊して、悪とするものを追いやり、ムラの清浄化・安全化を図ったものでした。氏神に集って神事を行う場合、鉦や太鼓の鳴り物で囃したてて唱え事をする、または幡や造り物などを掲げて行列をなすものなど、「虫送り」と一概に論じても虫退治と霊を弔う供養の要素が入り交り、地域によって実に多様です。
関西地方では京都や滋賀、奈良での事例が多く、昭和~平成にかけては無形文化財に指定され、後世に守るべき遺産と位置付けて保護・継承されています。

■稲との深い事例
関西における虫送りの事例は、各地の市町村史や民俗調査報告書によって紹介されています。松明を掲げて田の周辺を練り歩く光景が一般的ですが、先に述べたように虫送りは多種多様です。なかでも古式を現代に継承しているのが、「サネモリ様」と称される虫送りです。サネモリとは、平安時代末期に登場する武将・斎藤実盛を示し、平氏の一軍として闘っていた実盛が落馬したところを敵の源氏軍に討たれて非業の死を遂げた伝承譚です。なんとその死因になったのが、乗馬していた馬が稲の株に足を取られたことにあり、稲を恨んだ実盛が怨霊・害虫となって出現するといわれているのです。
そして、けいはんな記念公園の近隣地域では、木津川市での実施事例があります。こちらは里山の景観と新興住宅地が隣接し、時代の変化に柔軟に対応し、簡略化しながらもその伝統を継承しています。また、滋賀県甲賀市の事例では虫送りと同時に、赤く染めた紙の造花を飾り付けた鉾や傘を神社の境内などで奪い合う「ハナバイ」、「祇園祭」と称される習俗が行われています。このお話しは、また別の機会に…。

【図➀ 甲賀市内のハナバイ/2010年・2011年時点の現地調査より】
【写真➁ 甲賀市内のハナバイ】

伝統は、その時を生きる人々によって継承されることが最も重要です。これから先の日本では情報化がより進み、虫送りのような地域に根ざした習俗は消滅する可能性が低くありません。
そのため、行事の簡略化や内容の変化は致し方ない部分もあるでしょう。しかし、皆でよりよく生きていく、自然の恵みや四季折々に変化する景観や行事、周囲の人たちとの絆を大切にする心は普遍であってほしいと願います。そんな想いもあり、けいはんな記念公園では今年、「虫送り」を実施します。

最後に、けいはんな記念公園の虫送りで使用する松明を紹介します。
後日改めて当日の様子をお伝えします。どうぞお楽しみに!
【写真➁ けいはんなの松明】


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