春真っ盛りの時期ですが、3月末~4月初めは初夏とも思えるほどの暖かい日がありました。この間に公園の花はどんどんと咲いてしまいました。
3月ごろの公園のインスタ
色々な花が咲いたおかげで彩り豊かな花の写真がたくさん。
一部に虫が混じるのも公園ならでは。
例年よりも半月からひと月ほど早いのではないかと感じます。
華やかですが、早く咲いてしまった植物がこの先大丈夫なのかと若干不安に感じます。
日本庭園「水景園」でもゴールデンウィークにかけて咲いていく花があれよあれよという間に咲いていきました。
早送りのように続々と咲いてしまった今年は例外として、例年であれば、春のお庭には多様な花が代わる代わる咲き、彩りを添えてくれます。
さて、庭園では、その場所をどういう景色にしていきたいかを庭師が考え、植える種類や枝ぶりなどを長い時間かけて整えていきます。季節が移り替わるだけでなく、年月の中でも少しずつ庭全体が育っていくのですが、変化が緩やかなだけに意識していないと気づきにくい点かもしれません。
どんなことも時間をかけて慣れて腕をあげていくものですが、「職人技」と言われるようなものは、長い時間をかけて技を磨いていきます。
今回の記事では、そんな「技」の価値が垣間見える昔話をご紹介します。
※記憶にもとづく記述であり、不確かな内容が含まれることをご了承ください。
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むかしむかしある所に絵や書が上手な和尚さんがいました。
和尚さんのお寺へは絵や書を書いてもらおうと多くの人が訪れます。
そのお寺には庭師の親方と若い新米職人がいました。
新米職人は、荷物運びや掃除など、つまらなくてきつい仕事ばかりさせられると不満に感じていて、枝の剪定などかっこいい仕事はまわしてくれないと生意気な文句ばかり言っていました。
掃除する新米職人(イメージ)
掃除も大事な仕事です。
が、ふてくされている感じがにじんでいます。
そびえる松に登るベテラン職人
どこにいるかわかるでしょうか?
写真の真ん中あたりに人影が。
高く育った樹木の剪定は大変な仕事ですが、傍目には職人らしいかっこいい仕事かもしれません。
新米職人は、和尚さんが書く絵や書を、みんながなぜ高いお金を出してまで欲しがるのか不思議に思い、客の一人に尋ねました。すると客は「和尚さんの徳にあやかれる」というのでした。
新米職人は、ならば自分も書いてもらおうと考えますが、書いてもらうお金などありません。そこで、和尚さんの好物である山芋を掘ってくることにしました。
意気揚々と山芋掘りにでかける新米職人(イメージ)
当公園では勝手に掘ってはいけません。
新米職人は一日かけて、たくさんの山芋を掘って帰ってきました。
しかし、職人はふと「和尚さんが書くのはちょこっとの時間なのに、一日かけて掘った山芋を全部あげる必要はない」と考えて、半分だけ持っていくことにしました。
新米職人は和尚さんを訪ね、「一日かけて山芋掘ってきました」と言いました。
これを聞いた和尚さんは、なにか書いてもらいに来たこと、そして山芋を隠しているであろうことまで見抜きます。
「お前みたいな若い者が一日かけてこれだけか?お前は山芋を半分隠しとるじゃろう」
図星の新米職人は正直に「自分は一日かけて掘った。和尚さんが書かれるのはちょこっとの時間だから馬鹿らしいと思った」とこたえます。
すると和尚さんは新米職人を奥へと招き入れ、棚いっぱいにつまれた紙の山を見せました。これは、和尚さんが今まで絵や書の練習してきた紙なのでした。
「おまえは一日かけて山芋を掘ったのかもしれんが、おまえが”ちょこっと書く”といったわしの絵や書はもう何十年も練習しとるよ」
そう言われて新米職人は恥じ入り、隠していた山芋を和尚さんに差し出しました。そして、庭師の仕事にも一生懸命取り組むようになったのでした。
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お話の中心は和尚さんの絵と山芋を掘ること、ものや技術の背景にある手間の大きさについて考えさせられるものです。
登場する若い職人が、仕事の技術を習得するのに時間がかかることを認識するというところが、公園にも通じると思い紹介しました。
庭師はその技術を習得するのに長い時間をかけていますし、その植物の生長にあわせて剪定などをしていくので、目指す姿にいたるまでにも長い時間を要します。
今の景色は、これまでの植物の生育や管理の経緯と、これから目指す形があっての姿であるということを思ってみていただくと、庭全体を成長していくものと感じていただけるでしょうか。