本日(2024/6/21)、近畿地方は梅雨入りの発表がありました。
今年は梅雨入りがずいぶん遅くなりました。
個人的には雨続きは気分が晴れません。
かといって雨が無ければ植物が傷み、さらに続けば水不足など困りごとが起きます。
出かけづらくとも恵の雨に感謝せねば…と思う今日この頃です。
水不足はニュースで聞く程度で、断水でもない限りあまり実感できません。
しかし、昔は井戸や川から水をとって、飲み水や田畑の用水にしていました。
当然、雨が少なくなれば、すぐに生活に影響し死活問題になります。
自分たちの水をどう確保するかは日本各地で問題になっていました。
今日は取水に関する一鍬掘り(ひとくわぼり)の昔話をご紹介します。
※記憶に頼った記述であり、不確かな内容であることをご了承ください。
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昔々、福岡県のお話しです。
秋月藩では毎年水不足に悩まされていました。
秋月藩の人達は遠賀川から村へと水を引きたかったのですが、水を引くには隣にある黒田藩の領地から取水しなければならず、黒田藩が許可してくれないのでした。
村には正人どんという知恵者がいました。
村人が困る様子に、正人どんは黒田藩へ出向き、毎日のようにお願いをしました。
何日かして、話だけは聞いてもらえた時、正人どんは「一鍬(ひとくわ)幅で良いので、堰を作らせてほしい」と願い出ます。
黒田藩の役人は、その程度であればと、「間違いなく一鍬幅であれば許可する。もしそれより大きければ処罰する」と念押しして許可を出します。
この話を聞いた村人たちは一鍬幅では全然足りないと口々に言いますが、正人どんは相手にしませんでした。
公園にあったとある鍬
鍬もいろいろな種類があります。この鍬の幅は15㎝くらいでした。
水景園の棚田に水を引く水路
この水路でも一鍬より少し広いかもしれません。確かにこれでは村一つ分には到底たりません。
正人どんは一人で村の鍛冶屋に行き、幅三尺(約90㎝)もある巨大な鍬を作ってもらいます。
そして工事の日、「この鍬で掘るから、みんなはその跡にあわせて深く掘って水路を作ってくれ」と言います。
村人たちは正人どんの知恵に感心して喜びながら工事に取り掛かりました。
黒田藩の役人は工事が始まったと聞き、視察に来て驚きます。
「こんな幅の水路は許可していない」と怒りますが、正人どんは「一鍬幅と言ったが、鍬の幅まで聞かれなかった」と指摘します。
役人は悔しがりますが、約束してしまったので仕方ありません。
こうして出来上がった大きな一鍬幅の水路を、正人どんの一鍬掘りと呼んだそうです。
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私の知るこども向けの話は以上のようなもので、役人が悔しがるだけ、村人は幸せになって、めでたしめでたしの印象でした。
しかし少し調べてみたところ、伝承では正人どんは後に殺されてしまうようです。
今も一鍬掘跡は記念碑が残され、正人どんの命日に合わせてお祭りがあるようですので、当時の村人たちがどれだけ感謝したかがうかがえます。
さて、公園の小川には四分六分石というものがあります。
昔この地域にあった水路で、ふたつの集落に4:6で水をわけていたのだとか。
四分六分石
水路の分岐点に据えられていたようです。左側が四分、右側が六分になっているのがわかります。
四分六分石の説明文
ご興味があれば…。
何も知らなければ謎の構造物です。
この地域の水に関わる史料ですので、見つけられた際には思いをはせてみてください。